昔の炭焼き生活  4  つづき

Posted at 12/23 山荘のくらし »

炭を背負い問屋まで一日40キロ~50キロを歩くのですから大変な
重労働です。
そして運んでいたのはだいたい女性だったというのですから。
夫婦だと男が炭を焼き女がその炭を運ぶことが多かったようです。

炭焼き


しかし2俵(60キロ)を背負い歩いたのだからたいしたものです。
戦前は地下足袋があったそうですが、 戦中~昭和27年頃までは
わらじを履いていたそうです。しかし長い距離を歩くので2日で駄目
になったそうです。
さらにすごいのは冬でもほぼ毎日炭を運んでいたそうです。
除雪などもちろんしない豪雪の山の中を歩いていたのです。
そうしないと生活が出来なかったそうです。

炭焼き

当時自分たちの生活で炭を使ったのは風呂を焚くときに、屑の炭を
使っただけで ご飯を炊くのは薪、部屋の暖房は囲炉裏に長くきった薪を
斜めに入れブスブスと煙をいぶしながら暖まったそうです。
食事ですが、米が不足していたので大根や山で拾った栗を米に入れて
焚いて食べたそうですが。
混ぜるので一番多かった食べ物はミズナだったということです。  
しかし大家族で米が足りない家は、ミズを多くしたおかゆが食べられるか
食べられないかという生活でした。
炭を焼く生活が主でなくなったのは、昭和42年の水害ごだったそうです
水害後復旧作業のしごとがでて、多くの人たちがその工事に携わっていた
そうです。その頃から道路なども整備もされてきて、それまでの
不便な生活が変わって行ったようです。
                     おわり

炭焼き

  今現在この中ノ沢は以前に比べ道路も整備され交通の便も良く
  なりましたが一部まだ狭いところもありますが四季をつぅじて
  自然を楽しむことが出来ます。
  今ではこの集落も炭を焼いている人はいませんが当山荘では
  冬季間炭を焼いています。
  昔ほど大変な苦労はしていません、冬を楽しみながら焼いています。
  
  尚冬季1月2月は予約のみで営業 3月より通常どおり営業いたします。

裏五頭山荘

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